音楽を究める社交ダンスをめざして
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パソドブレを例にした音楽の捉え方

パソドブレは音楽の尺、フレーズが決定している唯一の種目である。
私共音楽制作者は以下の譜割りで制作している。
18(8+10)+26(8+8+10)+35(9+8+8+10*『4+6』*)+43(8+8+8+8+11)
ちなみにあるダンス教則本によれば音楽構造の譜割りは以下のようになっている。
イントロダクション 8+8+2(ミニハイライト) 18小節
コーラス 8+8+8+2(第一ハイライト)26小節
パート2 コーラス9+7+8+4+7 (第二ハイライト) 35小節
上記に示されているように、全てのダンサーは踊るための音楽の小節数が前もってわかっている。
音楽フレーズもある程度予想できる。
あらかじめ練られ作られたフィガー、ルーティンをそのまま使用して競技者全員が完成された踊りを披露できるという公平なチャンスを用意された有難い種目といえる。
であるにも拘らず踊れていないのは何故だろうか。
日本人が、生活文化から生まれた西洋音楽の西洋的解釈を捉えるには、日本の文化を再認識することから出発して、日本文化に生活していることの自覚と日本人として双方の文化の相違点を様々な角度から認識するのが早道であろう。そしてその理解が根底に存在しないと、たとえどんな素晴らしい踊りのステップの技術を身につけても、西洋音楽の枠を捉えた音楽表現は不可能なのである。
西洋人は拍の概念を移動する動的な「点」と捉えているが、日本人はどちらかといえば動的な「点」では捉えていない。もっと静的な感覚で捉えているような気がする。
拍と拍を移動する早さがテンポを決めるが、日本人はその移動をふぅっとした「間」で掴み捉える癖がある。フレーズの途中のどこかで無意識に、時には無遠慮に「間」をとる。
これが「音楽の流れが止まる」現象である。西洋人にはそのような感覚はなく、最後まで動き続ける。動き続けるから強弱で作られる「拍子」が音楽を創るための重要な役割をもつことになる。
そして拍と拍子の上に形成されている音楽の三要素(リズム、メロディ、ハーモニー)を自在に感じもしくは直感的に捉えることで、個性的な素晴らしいイマジネーションが表現されるのである。
このことは西洋音楽的拍子のスキーマを持たない日本人には重要な課題となる。
ステップを覚えるために音をカウントすることは結構だが、カウントは音楽になりえないし決して目的ではないことを自覚していなければならない。
カウントをしている間は、音楽が鳴っていても脳は音楽を聴けないことが証明されている。
つまりカウントから解放されて、拍の命は音楽のなかで託されている楽器を聞かなければならない。
音楽を聴いて、その音楽のフレーズに合った表現を目指すことこそが目的であるならば、音楽を聞いてまず演奏者が表出する拍(音)を感じ、取り込み、予測し、そして拍子感を掴み取ることが音楽を身体表現するための柱になる。その柱ができれば必ず世界のファイナルに名を連ねることができる。練られて作り上げられたルーティンを練習するとき、音楽が啓示するイマジネーションを、フィガー、ルーティンを使って踊りに託すという観念が指導者にあり、またそれが指導される側にも伝わらなければ、音楽の身体表現は完成しないだろう。
音楽のもたらす基本となる「拍の命」を感じ、「拍子のうねり」を身体の芯に入れることから躍動感が生まれ、拍と拍子の中に音楽が取り込めることを強く意識することが重要である。